カシアス内藤の息子(子供)ボクシングジムは嫁の三美子が切り盛り!咽頭がんで余命は?

3月31日放送の爆報THEフライデーに、咽頭がん(末期がん)を患っているボクシング元東洋ミドル級王者のカシアス内藤さんと嫁の三美子さんが出演されます。

カシアス内藤さんはボクシングジムを経営しているのですが現在は病気の為に、嫁の三美子さんがジムの切り盛りをしています。

2人の間の子供(息子)である、長男のリッキーこと内藤律樹さんと、次男の内藤未来さんはプロボクシング選手であり日本初親子3人王者を目標にカシアス内藤さんのボクシングジムで切磋琢磨しています!

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カシアス内藤の息子(子供)ボクシングジムは嫁の三美子が切り盛り!咽頭がんで余命は?

 

カシアス内藤 (かしあすないとう)

本名:内藤純一
アメリカ名:ロバート・ウィリアムス・ジュニア
生年月日:1949年5月10日
出身地:兵庫県神戸市
出身地:神戸市
階級:ミドル級
家族:嫁・三美子、長男・内藤律樹、次男・内藤未来

日本の元プロボクサー(元・東洋ミドル級チャンピオン、元・世界ミドル級1位)
E&Jカシアス・ボクシングジム会長
アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフ

 

カシアス内藤さんは、1949年に黒人米兵の父親と日本人の母親の間に生まれました。
父親はカシアス内藤さんがわずか2歳の1951年に朝鮮戦争で戦死しています。

カシアス内藤さんがボクシングで頭角を現すことになったのは、神奈川県の武相高校に進学しボクシング部に入部したことで、ミドル級高校チャンピオンになるなどの活躍しました。
1968年に船橋ジムからプロデビューし、リングネームとなった『カシアス内藤』は、偉大な世界王者モハメド・アリの本名カシアス・クレイから取っています。

トレーナーであるエディ・タウンゼント氏がカシアス内藤さんのトレーナとして就くと、
サウスポーの強打者として無敗のまま1970年に20歳という若さで日本ミドル級王者に輝き、翌年には東洋太平洋同級王者となるなど輝かしい成績を収めています。

現役当時は「和製クレイ」、「東洋のクレイ」などと呼ばれ、ボクシング界を一世風靡します。

1974年に一旦引退し、4年後に電撃復帰するも1979年末に引退しています。

 

作家である沢木耕太郎さんの スポーツノンフィクションの最高峰である、 『一瞬の夏』の主人公はカシアス内藤さんがモチーフとなっています。

 

ボクシング引退後は、恩師のエディ・タウンゼント氏と共にボクシングジム経営をするのを夢に持ち、大工、トラック運転手、水道屋、銀座のフィットネスジムのトレーナーなど職を転々として家族(嫁の三美子さん、息子2人)を養っていましたが、

恩師のエディー・タウゼント氏は1988年2月2日に直腸がんにより夢半ばで亡くなられています。

ガッツ石松、赤井英和、井岡弘樹ら6人の世界チャンピオンを育て上げた名トレーナーとして有名な方でした。

 

カシアス内藤が咽頭がん!発見時でステージ4の末期がん!

 

2003年12月のこと、つばをのみ込む際にのどに響くような痛みが走るようになったカシアス内藤さんは、2004年に咽頭がんと診断され、その時にはすでに末期がんのステージ4で後に余命3カ月の告知を受けています。

がん宣告されたときは、最善の治療法として声帯と舌を切除し、食事は点滴という治療を提示され余命3ヶ月も覚悟したそうですが、

いつか自分のジムを持ち後進を指導するという恩師である恩師のエディ・タウンゼント氏との約束を果たす為、声が出なければ指導は出来ないからと、声帯と舌の切除手術は受けずに抗がん剤と放射線治療をすることを誰にも相談することなく即座に決断しました。

 

『声が出なければボクシングを教えることはできないんです。その瞬間に指導せず、後から筆談で伝えても身体が覚えない。チャンピオンになれるような強い子は育ちません。エディさんの志や教えを、なんとしても次世代へ引き継ぎたかった。墓前に『負けないよ』と誓いました』

 

がんの根治は目指せないが、「がんをうんと小さくして共存する」放射線化学療法の副作用で、カシアス内藤さんの喉や唾液を分泌する部分も焼かれたが、体力維持のために痛みをおして間食を続けたそうです。
実に25回に及ぶ放射線照射に耐えた結果、カシアス内藤さんのがんは4分の1以下に縮小され無事退院されています。

 

ボクシングジムに息子2人も在籍!嫁の三美子が切り盛り!

 

カシアス内藤さんは病院から退院後8か月の2005年2月2日、周りの呼びかけもあり、

 

「E&Jカシアス・ボクシングジム」

〒231-0024
横浜市中区吉浜町1-9
エトアール吉浜2F
(JR根岸線石川町駅北口より1分)

 

を開設しています。
引退から実に25年。
がんの告知からちょうど1年。
恩師であるの命日に長年の夢を叶えたことになります。

「E&Jカシアス・ボクシングジム」のE&Jは、恩師である故・エディ・タウンゼント氏の名前です。

 

日本のバンドであるアリスの『チャンピオン』という曲は、カシアス内藤のことを歌ったものである事を、「24時間テレビ28」の「生きるチカラ」というコーナーでカシアス内藤さんと同じステージに立った谷村新司が明かしています。

 

『余命3か月といわれたのが、8年生きている。退院後3年くらいまでは抗がん剤が処方されていましたが、実はほとんど飲んでいません。人間の免疫力は捨てたものじゃないですよ。ただし僕のがんは、切除したわけでも死滅したわけでもない。
休眠中というか、小康状態。先生にも『明日、目が覚めないかもしれないよ』といわれるけど、ボクシングの夢があるから病気のことは忘れられるし、がんの進行を気持ちが止めているんだと思う。僕が死ぬまでじっとしていてほしいと願っています』

 

がんと共存することで現在も闘病は続いているカシアス内藤さん。

経営しているボクシングジムは嫁の三美子さんが切り盛りしており、小学低学年~70歳近い幅広い年齢の練習生が通っており、プロテストを受け無事にライセンスを取得した練習生もいます。

また、カシアス内藤さんと嫁の三美子さんとの子供(息子)の長男のリッキーこと内藤律樹さんや、次男の内藤未来さんもプロボクサーとしてこのジムに在籍しており、親子3人世界チャンピオンの夢に向かって日々練習に励んでいます。

 

長男の内藤律樹さん(生年月日:1991年7月31日)は、2011年9月30日にプロデビューし、3年後の2月10日に第45代日本スーパーフェザー級チャンピオンになりますが、2015年12月14日の防衛戦で負傷判定で敗れ4度目の防衛に失敗し、王座から陥落しています。

トレードマークのアフロヘアは、現役当時の父親であるカシアス内藤を彷彿とさせます。

 

 

次男の内藤未来さん(生年月日:1992年6月19日)は、2016年11月7日にプロデビューしたばかりで、期待の若手ボクサーです。

ボクシングは中2の時に大会でボコボコにされたのが引き金となり一端離れていましたが、兄のプロ転向後にセコンドを手伝い始め、王者 になったことで、プロになることを決意しボクシングの道をまた歩むことになりました。

 

最後に…

 

咽頭がんのステージ4(末期がん)で、余命3カ月を宣告されたカシアス内藤さん。がんと共存することを選択し、辛い放射線治療を乗り越え見事退院しますが、13年たった現在もがんとの闘病は続いており、経営しているボクシングジムは嫁の三美子さんが毎日切り盛りしているそうです。

2人の息子である長男の律樹さんと次男の未来さんも父親の同じボクシングの道を歩みプロボクサーとして日本初となる親子3人世界チャンピョンを目指しボクシングジムで日々練習に励んでいるそうです。

 

3月31日放送の爆報THEフライデーでは、カシアス内藤さんの現在のがんの病状や嫁の三美子さんがジムを切り盛りする姿が放送されます。

余命3カ月から奇跡の復活…

カシアス内藤さんと嫁の三美子さん子供(息子)の活躍に注目ですね!

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