西口彰 生い立ち子供の現在!結婚し嫁と子供も!古川るり子に獄中から送った手紙の内容は?

昭和を震撼させた逃亡劇を起こした前科4犯の西口彰(にしぐち あきら)。

当時まだ11歳の子供だった古川るり子は、指名手配のポスターで西口彰本人だとわかり、警察に通報。
身柄が拘束され、死刑囚となりました。

身柄確保のために13万人もの警察を導入するも逃亡を続けた西口彰を、当時11歳の子供が見破ったことは当時話題なりました。

西口彰のホクロの位置が決めてとなったことを後に古川るり子さんは語っています。

爆報THEフライデーでは西口彰の件が放送されるそうです。

今回は、西口彰の生い立ち、結婚相手の嫁や、子供であった古川るり子の現在や獄中から送られてきた西口彰の手紙の内容について調べてみました!!

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西口彰 生い立ち子供の現在!結婚し嫁と子供も!古川るり子に獄中から送った手紙の内容は?

 

西口彰  (にしぐちあきら)

生年月日:1925年12月14日
死去日:1970年12月11日
出身地:大阪

 

西口彰は、大阪のキリスト教カトリックであった父親は漁師を雇って漁業を行う網元で、経済的に裕福な家庭に生まれ育ちます。(父親は綱元を辞職後も果樹園、旅館経営などで成功を収めていたようです。)
戦前に大分県に移り住んだ後、中学生の時に父親が西口彰に神父になってほしいとのことからミッションスクールに通うも戒律についていけずに道を踏み外し、窃盗と詐欺で少年院に入所し、出所後も恐喝や詐欺で36歳になるまでに何度も刑務所に入っています。

1945昭和20年8月、終戦の翌日に出所すると、
西口彰は戦後直後の1946年、20歳の時に1歳年下の福岡県の一般女性と結婚し3人の子供を授かっています。
結婚から翌年の1947年6月には長男(現在69歳)が誕生。
1951年11月には第2子となる長女(現在65歳)が、その後にも第3子が生まれています。
別府刑務所を出た西口彰は、嫁と子を別府市の実家に預け、福岡県行橋市に住みトラック運転手をした時期もありましたが、1年あまりしか続かなかったそうです。

嫁と子供が傍にいない間には、福岡県行橋市の理容師の40代の女性や、飲食店店員の女性などを愛人にしたり、また、愛人の理容師の長女や店の見習の女性などにも手を伸ばそうとしていたそうです。

西口彰は、
「自分は大卒。両親は別府市の資産家。パチンコ店と旅館を経営している」
と言葉巧みに嘘をつき、女性を落としたそうです。

1948昭和23年に恐喝事件で3年間服役。
1952昭和27年に詐欺事件で5年間服役。
1959昭和34年に詐欺事件で3年間服役し、前科4犯となります。

西口彰は家庭を持っても更生したワケではなく、自身の欲望や生きるための金を手にする為なら平気で嘘をついて人を騙し、命をも奪うという人間となってしまいます。

1963年10月に福岡で2人をあやめて逃亡し指名手配犯となりました。
逃亡生活中の10月21日には嫁に宛てた手紙を送っています。

 

捕まって世間に笑われるようなことはぜったいしない。死ぬつもりだ。

:嫁に宛てた手紙の内容

 

逃走先の佐賀で自身が指名手配されているのを知ると、10月24日には瀬戸内海の連絡船で靴をおいて書置きを残して投身自殺を偽装しています。
しかし、警察はこれを偽装と判断し捜索を続けます。
この書置きには子供の長男に宛てたはがきもありました。

 

先立つ不幸許して下さい。
今度は本当に御迷惑をかけました。胸が一杯で何も書けません。
御幸に御元気で何時迄も御幸にね。馬鹿な彰を許して下さい。
この道を選ぶより外はなかったのです。

:長男に宛てたはがきの内容

 

結婚相手の嫁と子供に送った自殺をほのめかす手紙やはがきの内容が嘘であったことがわかりますが、自身の逃亡の為になら身内にも嘘をつく男であることがわかりますね。

その後、西口彰は神戸、大阪、京都、名古屋、静岡、千葉、北海道、東京、栃木…と、逃亡生活を送り途中では大学教授や弁護士などを騙って計5人の被害者を出し、計80万円を詐取するなど警察の目を欺きながら犯行を重ねていきます。

熊本では弁護士を装って教戒師・古川泰龍の家を訪問。
支援活動のサポートをしてもらいたい口実をうたい、古川一家に近づきます。

客人として迎えられた西口彰を2階の部屋に誘導したのが古川泰龍の子供である古川るり子さんでした。

何の疑いもない古川泰龍は、西口彰と意気投合し自宅に招き入れます。
教戒師とは、受刑者の矯正や救済を担う役割をする人のことを指します。

そして数日後に当時10歳の古川泰龍の子供である古川るり子が指名手配のポスターで西口彰だと見抜きますが、当初古川泰龍は半信半疑だったそうです。
しかし、西口彰は弁護士団体の名前や自身が卒業したとする東京大学の著名な法学部教授の名前を知らないなど、次第に弁護士としての基礎知識に欠けてることなどボロが出始め、古川泰龍が警察に通報。
西口彰を一泊させた次の日の1964年1月3日に身柄を拘束され、78日間の逃亡生活に終止符が打たれることになりました。

逮捕前夜に西口彰を一泊させた古川泰龍一家は恐怖の一夜であったと後に語っています。

西口彰は、17件の罪で起訴され、裁判では「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」、「悪魔の申し子」と検察や判決文で形容されるほど、西口彰の犯した罪の大きさと世間を震撼させた凶悪な人物像が浮き彫りになりました。

後日談として、西口彰の子供である長男は、その後父親が犯罪者だと知り、グレて学校にも行かなくなったそうです。
そのことを聞かされた西口彰は、
「俺のような人間の真似をするな!」
と悲痛な声をあげ、長男に対し20数枚の手紙を書きつづりその後長男を立ち治ったことを知って安心していたというエピソードがあります。
昭和を震撼させた犯罪者であっても人の子、人の親であることには変わらないと伺わせるエピソードですね。

1964年12月23日に福岡地裁小倉支部で死刑判決。
1966年8月15日に上告を取り下げ、死刑が確定。
1970年12月11日に44歳で福岡拘置所で死刑執行されました。

 

西口彰が古川るり子に獄中から送った手紙の内容は?

 

西口彰最後の逃走先である熊本で弁護士として装った西口彰は、教戒師・古川泰龍の家に滞在します。
古川氏の次女で当時11歳の小学5年生だった古川るり子さんは父親に、

「お父さん、あのお客さんはポスターにあった殺人犯の西口にそっくりよ」

と、父親に伝えるも、古川氏は当初、

「お客さんに失礼なことを言うな」

叱られたそうです。

古川るり子さんが、なぜ西口彰が指名手配のポスターの人物であることを見抜いたのか…
その理由として、西口彰と一字違いの同級生がいたので、登校のたびに興味深くポストに貼ってあった指名手配のポスターを見て印象に残っていたそうです。
指名手配のポスターは、身長、ホクロといった特徴が西口彰と見事に一致していました。

昭和を震撼させた西口彰の逃亡劇…。
その逃亡劇に終止符を打ったのはわずか11歳の子供であった古川るり子さんでした。

西口彰は獄中の中から、自身の身柄拘束の立役者となった子供の古川るり子さんに数通手紙を送っています。

その折りは大変迷惑をおかけいたし、まことに申し訳ございませんでした。
るり子さんも高校生に成長なさって、郎らかに、毎日元気にお過ごしのこととうかがっております。
決して皮肉ではございません。
できたら今後、るり子さんと文通したいと思いますが、唯「こはい人」と言った感じだけを残しているかもしれませんネ。

この手紙の文面からは、逮捕の立役者となった古川るり子さんに対する恨みや妬みも感じることができます。
死刑囚からこのような手紙が送られてくるのは非常に怖いですね。

古川るり子さんは、一切手紙の返事を書かなかったそうです。

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